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測定の意味

2011.04.03(20:01) 1227

 福島原子力発電所の事故現場は依然として予断を許さない状況である。したがって、離れた地域に住んでいても空間線量が通常より上昇しており、心配になって自分の居住地の数値を知りたがる人が大勢いるのは無理もないことだ。それを承知の上であえて今回は書くことにする。

 結論から書くと、きめの細かい測定は退避するのもやむなしかどうかの判断が迫られる(あるいは長期化すればその必要が出てくると考えられる)地域以外では必要がないし、言い過ぎを覚悟すればやるべきでもない。関東地方で言えば、栃木県と茨城県の北部くらいまでだろうか。それ以遠は国が整備した各県1カ所のモニタリングステーションでの測定で十分である。


 する必要がないのは、放射性物質の拡散状態から考えれば、移動距離が長くなればかなり均一な状態になるため、遠くの地域では細かく測定しても数値に大きな違いが現れそうにないからである。多少の数値のばらつきがでたところで、その影響を考えると五十歩百歩である。大げさな言い方をすると、10万円のテレビを買うときに100円、200円の値引きを問題にしているようなものだ(気にする人は気にするだろうが)。

 やるべきでないと書いたのは、このご時世で測定機器の供給が逼迫しており、より重篤な地域に資源を集中させるべきと考える。こうした非常事態では境界など気にせずに融通させるべきで、我田引水はなるべくなら慎むのが良いと思うからだ。測定機器というハード面だけではなく、測定に要する人的資源というソフト面も決して馬鹿にはならない。実際に、国からは環境関係のプロを被災地へ派遣してくれとの要請(何で、そんな人材が必要なのかはわからないが)があり、私自身は行く気満々だった。しかしながら、地元の(被害が出るとは思えないレベルの)放射線対応のため、断らざるを得なかったという忸怩たる思いがあったので、少々過激な言い方になってしまうことをご勘弁願いたい。

 そもそも測定をする意味は今後どんな行動を取るべきか(あるいは取らないべきか)を判断する基礎となるデータを収集することである。現状で退避行動を取るということは考えられないため(つまりは安全)、数値を見て安心するという効果しかない(これが安心と安全の違いであり、キャッチフレーズとして安易に安心安全とは言って欲しくないものだ)。これは、現時点で測定の重要性が低いことを意味する。とはいえ、人々に安心を与えるというのは重要であるから、最低限の測定を行い、数値を発表することには意味があると思う。ただ、それを過剰に求めるのはどうかな?と疑問を抱いた次第である。

 想像したくないが、現地の状況がどうにもならなくなり、考えられないほどの量の放射性物質がばらまかれたとすれば、これはもう測定値が云々とは言っていられない状況であろう。ある程度離れた人は、線量の上下に一喜一憂しないで、現場の状況に注目すべきだろう。現場のニュースが無いときは、小康状態と思うしかないのだが、なかなか心理的にもそうはいかないだろうなぁ。一刻も早く現場からの放射性物質の放出が止むことを切に願う。  

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