FC2ブログ

タイトル画像

情報公開の功罪

2011.04.05(20:03) 1228

 情報公開の是非を問われれば、まずほとんどの人が公開すべきと答えると思う。私もそれに異論を唱えるつもりはない。しかしながら同時に、情報の受け手もその情報をきちんと理解する能力、あるいは理解しようとする姿勢が求められる。この能力あるいは姿勢がないままに、情報公開だけを声高に叫ぶ輩(自分で考えようとせずに、白黒のみ求める人)が現れると現場は非常に困る。

 さらに情報の発信側に、その情報の意味を考えさせる間もなくすぐに発表しろというプレッシャーがかかると、現場の混迷の度合いは加速される。今回の原発事故はそれが如実に表れている。とにかく日本始まって以来なのはもちろん、世界的にも例がほとんど無いのである。この事例に精通した人などいないと考えた方がいい。


 文部科学省は全国の自治体に対して、空間線量、水道水および降下物中の放射性物質濃度を測定し、報告するように求めている。これらの数値は文部科学省のHP、あるいは各都道府県のHPに掲載されている。そして人々は、その数値の上下に神経をとがらせているのだが、その数値の意味をわかる人は少ない。これは何も情報の受け手だけではなく、送り手もそうである。そりゃそうだろう、経験者もいないし、過去のデータだってないのだから。

 が、それは情報の受け手には通用せず、わかりやすい解説も同時に求める。この場合のわかりやすさとは白黒はっきりするということだ。これは心理としてはよく理解できる。しかしながら、もともとがリスクという非常にグレーなものを扱っているから、デジタル的なコメントをするのは難しい。

 勢い、コメントをせずに数値だけ公表するか、あるいは例の「直ちに健康影響なし」というどうでも良いコメントだけを付けておくことになる。一番の問題はこのような事故の想定をしてこないままに、原子力を推進させたことである。したがって、確固たる基準が存在しないグレーな状態になっているのだ。

 繰り返し言うと、情報公開を求めるなら、その情報の意味を理解しようとする努力も同時にすべきだということだ。コメントまで相手に求めると、相手の恣意が入って来るので、数値の意味を読めるようにして、善し悪しの判断は自分でできるようにしておくのが理想だ。そうでないと、情報公開は単なる不安材料の増強でしかなくなる。

 先日IAEA(国際原子力機関)の専門家と話をする機会があったけど、彼らの話を聞いて、ますますその感が強まった。その話は機会があれば後日書く。

スポンサーサイト




TTRSを走らせろ -no matter when and where-


<<消えたSPEEDI | ホームへ | 我慢の限界>>
コメント
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://masqurin.blog85.fc2.com/tb.php/1228-3cde915f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)